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チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」

昨日、曲を選ぶとき、思わず、

「 キャーーーー、とうとう誘われてしまった! 」 と

叫びそうになってしまいました。( 男性に、ではありませんよ・・・ )

誘われたのは、久しぶり。 

( くどいようですが、デートではありませんよ・・・ )


実は、

誘われた曲は、「私の大嫌い!」な曲。


でも、

お好きな方もいらっしゃいますね・・・

その曲は、私の義兄が一番好きな曲でもあります。


チャイコフスキー 交響曲第6番 「 悲愴 」


決して、チャイコフスキーが嫌いなわけでは、ありません。

この曲だけが、嫌いなのです。


私が中学生のとき、義兄が

「 この曲は特別なんだ・・・ 」

と、あるレコードを見せてくれました。


それが、この曲。


その理由を探るべく、すぐに聴きました。


最初、針を落としてすぐに、

「 うわっ、嫌な曲! 」

と思いましたけど、

義兄がいい!

というのであれば、きっとどこか感動するに違いないと

最後まで聴く。でも、まったくいいと思えない。


何回も聴いたら、好きになれるだろうか?と思い、

何時間も繰り返しきいてみたのです。


でも、聴けば聴くほど、ますます嫌になっていく・・・


そんな曲があるのか?と

翌日もひたすら、聴いてみたのです。


それでも、大っ嫌い!と思えるこの曲。


それほど、毛嫌いするほど嫌な感じが漂っているこの曲。


「悲愴」と書いてありますけど、

私と同じような絶望を感じた人の悲しみではないですね。


まったく共感がない・・・


例えば、

似たような絶望を感じていたシューベルトやベートーベンとか・・・

ものすごく、共感を覚えます。

どうして、こういう曲になったのか・・・

気持ちの起伏や曲に込めた意味が、理解できるのです。

この曲は、「死」を前にした、絶望ではないですし、

もしかしたら、「絶望ではない」かもしれないです。


なぜなら、誘われた割には、

恐ろしさがないのです。体の震えがくるほどの恐怖はないのです。

ぞっとするものが、ない・・・


ということは、

この「悲愴」は、別の悲しみなのでしょうか?


私が思うに、

私が理解しがたく、大嫌い!といえるような問題か何かを

作曲家が抱えていて、

そのことを曲に表したとしたら・・・?

そう考えると、私が聴くに耐えないのが、わかるような気がします。


何か、倫理に反するのか・・・

私が毛嫌いするような何かを抱えていたのでは・・・?なんて

探ってみたり? ( キャー、探りたくもないー!!! )


まあ、聴き終わると

この曲ほど、ホッと安堵する曲はないかもしれませんね・・・


でも、これは、私の感想。


義兄のように、大ファンもいます。

最初から最後まで、聴いたことのない方でも

ところどころで、「ああ、知っている・・・」と

思われるくらい有名な曲でもあります。

その知っている・・・というところは、とても美しいです。


第1楽章を聴いていると、

ああ、聴いたことがある・・・なんて

言われる方も多いことでしょう・・・



お時間のある方、

もしよかったら、聴いてみてください。(第4楽章までの演奏を)

お時間のない方、第1楽章だけでも、よかったら・・・


↓ カラヤン指揮の演奏で (終わり方、余韻が欲しかった…映像が残念。)
  CMつきです。

チャイコフスキー 悲愴


↓ 同じくカラヤンの指揮のCD

チャイコフスキー:交響曲第6番



<後記>

もしよかったら、

この記事に関連して、思ったことを私なりに書いてみました。

チャイコフスキーの「悲愴」が嫌いという方が多いようなので。

お読みになる方は、⇒ こちらへどうぞ・・・









好き好きとは言え…

音楽、それも交響曲の好き嫌いは本当に人それぞれ。何度聴いても好きになれない曲があってもそりゃ不思議はないし、仕方ないですね。

でもチャイコフスキーの最後の交響曲「悲愴」がお嫌いという方もちょっと珍しい。どこのアマチュアでも4番・5番・6番(悲愴)はたいてい1回はやるでしょう。
では1番・2番・3番は?あまり知られていない。どんな曲だろう、と思って聴いてみたけど、どれもパッとしない。1番なんか「冬の日の幻想」なんてタイトルまでついているのに、2楽章はまあいいけど、他の楽章はどれもいまいち!…やはり「名曲」と言われ、演奏機会の多い曲にはそれなりの魅力があるんだろうな…と納得した次第です。

リーさんが「悲愴」を聴いてあまり好きになれない理由…それはもしかすると特殊性かな、とも思います。
この時代としては珍しく5楽章までありますし、チャイコフスキーのそれまでの作品とかなり異質な要素が多いんじゃないでしょうか?

その背景なのかどうか、チャイコフスキーに13年間ずっとパトロンを続けた未亡人がいたのはご存じでしょう? チャイコフスキーのよき理解者・熱烈なファンであり、お互い尊敬して心の支えでもあり、なんと千通以上の手紙を交わしているのですが、一度も会ったことがない!
(一説によるとチャイコフスキー氏は女性がダメだったとか…??)

その未亡人に充てて、「今、いままでの私のすべてを集大成したような新しい交響曲の作曲に取り組んでいます」といったような内容の手紙を送っているんです。ところが、財政的な事情を理由にその未亡人からの援助を打ち切られてしまいます。それまで手紙だけの付き合いとはいえ、心の支えであった人が去ってしまった絶望と怒り…

そんな中で完成したのがこの「悲愴」。弟や甥にあてた手紙では「最高傑作になる」と自信をうかがわせ「作曲しながら何度も泣いた」ともあるそうです。
そして自身の指揮でこの曲を初演してわずか8日後にチャイコフスキーはこの世を去ります。

まさに最終楽章の1発のドラ、そしてそのあとに続く静かな楽曲は、自分自身への葬送行進曲のようにも聴こえます。

ちなみに私は…この曲をそうしょっちゅう聴きたいとは思いません。重いですからね(笑)。でも「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」を作曲した人の最後の集大成のような作品だ、と思って聴くと、なにかジーンと迫ってくるものがあり、嫌いじゃありませんよ。







Re: 好き好きとは言え…

第一楽章さま、いろいろとありがとうございます。

この曲は、選んでいるときに、違うものを発していました。
ああ、とうとう曲に呼ばれた・・・という感じでした。
何か、私に訴えようとしていたのかもしれません。

曲には、いろいろと解釈はあると思います。
ただ、世間の解釈が正しいのかどうか・・・
それは、私はどうかな?と思うこともあります。

歴史でも、今までこういうとらえ方をしていたのが、
まったく違っていたということがありますでしょう?
本当の裏は、これまでの解釈とは違うことは、ありうると思います。

呼ばれたからには、何か別の意味でもあるのだろうか?と
少しは疑ってみましたけれど、今回はまったくわかりません。
私がこの曲の裏を知りたくないのでしょうね・・・
もしくは、まったく理解できないことなのでしょう・・・

この曲に関しては、残念ながら、わかりませんでした・・・

それにしても、やはり演奏家のみなさまは、かなり知識を得てから、
演奏をなさるのですね・・・
Secre

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